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生きる為の目標が出来たのです

脳死肺移植

1週間のICU生活を振り返る 肺移植手術からの目覚め

投稿日:2018年6月30日 更新日:

こんにちはkohapaです。

私は100万人に1人と言われる「特発性肺へモジデローシス」という難病を患っています。

2018年春、肺移植手術を受けました。

肺移植待機から11ヵ月 脳死肺移植手術を受けられる事になった。

術後はICUで生活する事になります。ICUでの生活がどんなものだったかお話します。

肺移植手術後1日目、眠ったまま

約10時間に及ぶ肺移植手術を経て、ICU病棟へ移動。

手術室から出てきた私に両親が無事終わった事を伝えると「うんうん」と頷いていたらしい、もちろん記憶はない。

手術翌日、妻が病室に来てくれていた。私は1日眠ったままで来てくれた事は翌日、目が覚めてから母から聞いた。

ICUでは、携帯を使う事が出来ない。

少しでも気持ちが休まるように、好きな音楽のCDと娘の写真を持って来てくれていた。

肺移植手術2日目、目が覚める

目が覚めるタイミングは人それぞれで翌日覚める人も居るし、私の様に2日後の場合も。目が覚め人工呼吸器が外れた。

目が覚めたのが何時頃だったかは覚えていない。

病院からの連絡を受けて、母が面会に来た。

人工呼吸器が外れたばかりで声が出せず、筆談でやり取りをした。

書くと言う動きがしんどく、数回やり取りをしたが、力尽きた。

目が覚めた直後は多量の薬が入っている事もあってか、意識は朦朧としていてあまり記憶がはっきり残っていない。

多量の薬の影響か、目をつぶるとアーティスティックな映像が目の前を飛び交うような状態だった。

肺移植手術3日目、ちょっと辛くなってきた

かなり睡眠薬を投与しているようだったが、まったくと言っていい程、眠れない。

移植した肺をしっかり膨らませる為に、酸素マスクを付けているが、結構な勢いで酸素を送る為、苦しく感じる。

麻酔から目が覚めて2日目から多少意識がはっきりし始めた。

ハッキリし始めた事で、体にたくさん付いている管や、計器、それらの影響で思うように体が動かせず、ストレスを感じ始めた。

両脇に体内の薬や血液を出すための管が4本入っている為、体を横に向ける事が出来なかったのも辛かった。

体を動かせる範囲は、ベッドのリクライニングのみ。それも自分で動かせる訳では無く、その都度看護師さんを呼んで調節してもらわなければいけない。

また、背中や腰に痛みを感じ出し、動く事が出来ない事が物凄くストレスに感じた。

筋肉痛

 

3日目から、病室にリハビリの先生が来て、軽いリハビリが始まった。

横になったまま、足首を動かしたり、膝を曲げたりというリハビリ。

先生が一度立ってみようというので、看護師が3~4名来て、体中に管などが引っ掛からないように気を付けながら立ち上がった。

支えてもらっていないと立っていられない程、力が入らなかった。

でも、ベッドから降りられて自分の足で立てた事が、命があるという事をより実感できた。

同時に嚥下訓練も始まった

人工呼吸器を使用すると、飲み込む力が低下する為、誤嚥を起こす危険がある。

その為、飲み込む力が回復するまで、訓練を行う必要があり、すぐに食事を摂る事は出来ない。

初日は、唾を飲み込んで喉の動きの確認をしてしっかり飲み込めている事が確認できると、少量の水を飲み込む。

上手に出来ているので、翌日はゼリーで練習する事に。

口がとても乾くが、水分が取れないので専用のスポンジに水を染み込ませて口を潤わす事しか出来なかったのはかなり辛かった。

それだけに、翌日のゼリー訓練がめっちゃ楽しみだった。

肺移植手術4日目、ICU病棟を歩く

4日目には、大量の管や点滴を付けたままICU内を歩行器を使って歩行訓練をした。

日中も眠りたくても眠れない、頭もスッキリせず何かをする気力が湧かないので、とにかく時間が長く感じる、早く時間がたって欲しいと思いながらテレビをつけてボケーっと眺めているのがやっとという感じ。

何もする事がない為か余計に腰や背中の痛みに意識が行ってしまう、どれだけ態勢を替えても消えない痛みに苛立ち、取り乱してしまう事もあった。

お昼過ぎに嚥下訓練で人参ゼリーとコーヒーゼリーを食べた。

味は薄かったけど涙が出そうになるくらい美味しく感じた。

術後5日目、徐々に身軽になっていく。

脇腹に4本入っている管が右1本を残して抜ける事になった。

これでベッド上で正面を向いてしか横になれなかったのが、横向きになる事が出来るようになり多少腰、背中への負担が軽減されたように思う。

食事も全粥に変わり、自ら食事を摂るようになった。

しかし、当然、食事以外は水も摂る事が出来ず、口が乾くのがとても辛かった。

これまで、投薬の為に鼻に繋いでいた管を抜き、口から薬(免疫抑制剤)を飲む事になった。

しかし、ICUに居る間の免疫抑制剤が死ぬほどまずかった。

液体の飲み薬と内服薬(粉)を混ぜて飲む事になったが、35年生きてきて、口から摂取した物の中でダントツ一番マズい物だった。

震える程マズくて、50㎖弱の薬を飲み切るのに1時間以上かかってしまった。

6日目、妻が来てくれた。

妻が面会に来てくれた。さすがに妻の姿を見て涙が出てしまった。

手術翌日に人工呼吸器を付けて眠ったままの私の姿を見ていた妻は、術後6日目を迎え、身軽になりリハビリで歩行器を使って歩く姿を見て回復の速さに驚いていた。

まだまだ道のりは長いが、手術が無事成功した事、経過が良好である事、改めて手術を受けた事が正しい選択だったとお互いに再確認できた。

この日も、睡眠前の免疫抑制剤を飲むのに、1時間かかってしまった。もう、飲むのが怖いくらいマズイ。

術後6日経ったが、夜は全然眠れていなかった。

手術から1週間、ICUを出られる事になった!

手術前にICUに入っている期間は1週間~2週間と聞いていたので、早くICUを出られる事になった。

ICUを出たからと言って、回復が早くなるわけではないけど、順調に回復へ向かえているという証拠なのでとても嬉しかった。

午前中に、呼吸器外科病棟へ。戻る途中にCTを撮った。

しばらくは、個室で生活する事になる。

窓からの景色は、隣の病棟が見えるだけで、決して良くは無かったけど、時間の経過が感じられるだけでも安心感があった。

ICUを経験した感想

移植手術後の、ICU生活が辛い事はある程度、覚悟していた。

それでもやはり、かなりキツイと感じる事が多い一週間だった。

しかし、無事手術を乗り越え、目が覚めて家族と再会出来た時に本当に喜びを感じたし、明るい未来を想像する事もできた。

辛い、しんどいがほとんどだったけど、ICUの看護師さんは本当に献身的に看護をしてくれて、忙しいにもかかわらず、背中をさすってくれたり、精神的にも励ましてくれたりと本当に良くしてくれた。

沢山の病院スタッフや家族の存在に支えられて乗り越えたICUでの一週間だった。

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