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生きる為の目標が出来たのです

突然の電話

脳死肺移植

肺移植待機から1年1ヵ月 脳死肺移植手術を受けられる事になった。

投稿日:2018年6月3日 更新日:

こんにちはkohapaです。

私は100万人に1人と言われる「特発性肺ヘモジデローシス」という病気を患っています。

現代医学では治療法は無く、この数年で症状の著しい悪化があった為、2017年春に肺移植ドナー患者登録をしました。

そして、2018年春、1年1ヶ月という奇跡的に短い待機期間で、ドナーが見つかり脳死肺移植手術を受ける事が出来ました。

その時の状況について少しお話したいと思います。

肺移植を受けられるのにかかる時間は?

日本ではまだまだ臓器移植に対する認知度の低さや、制度そのものなどの点から先進国の中でかなり遅れを取っています。

日本での肺移植平均待機期間は、2年~3年と言われており場合によっては4年以上待つ事もあるようです。

症状の重い方にとっての2年~3年の待機というのはとても長く、辛い待機期間だと思います。

中には待機期間中に症状が悪化して亡くなってしまう方もおられます。

私の体の状態は?

2018年4月時点での私は仕事を長期療養、在宅酸素療法を導入し、安静時1.5ℓ、動作時2〜3ℓで24時間酸素吸入、外出時は酸素を携帯していれば1人でも外出は可能でした。

片道約2時間かけての通院も1人でしていました。

私には2歳になる娘がいますが、娘が歩くペースにはついていけず1人で子守をする事は出来ない状態でした。

また、呼吸器疾患の末期症状「肺動脈性肺高血圧症」も併発しており、結構危険な状態にありました。

難病指定の肺高血圧症になった。3年生存率50%!?

ホントに突然!京都大学病院からの電話!

春の天気のいい日、昼過ぎにソファーでくつろいでいる時、電話が鳴った「京都大学病院」。

まさかな、という思いで電話に出たが、その内容は私に適合するドナーが見つかったという連絡だった。しかも優先順位が1番だと言う。

4月にドナー患者登録から1年の検診を受けたばかりで、その時先生から平均2〜3年の待機だから「あと1年は待つかなー」という話をしていた所でした。

それでも待機1年が経ち、いつ声が掛かっても、直ぐに京都へ向かえるように準備しなきゃいけないね、と妻と話していた矢先の出来事でした。

現代医学的に言えば私の肺は移植以外では助からない。

本来なら喜んで移植手術を受けます!と即答するべき所なのに私は決断を迷った。

30分後に掛け直すので家族と相談するように言われ、一度電話を切った。

私はドナー患者登録以降、現代医学での治療を100%信じて受けてきた。しかし、病気そのものは治らないという事実は変わらない。

私には「病気が治る可能性を諦めてはいけない」という思いがあった。やはり理想は肺移植を受ける事では無く病気が治癒する事。

どんな病気であっても現代医学の常識を覆す奇跡は起こせると信じていた。

自宅療養が始まってから病気の治癒に関する書籍を何冊か購読していた。

本の内容が嘘とかホントという話では無く、治る事を信じることが一番大切だという思いに至り、絶対治して見せるという思いが強くあった。

京都大学病院から電話がくる1ヶ月前に読んだ本に感銘を受け、その本に書かれていた食事療法などに取り組もうと計画を立てていたタイミングでの京都大学病院からの電話だった。

肺移植の順番が回ってきたら手術は受ける、ただそれまでは治癒を諦めないという思いだったが治癒を諦めない思いの方が強くなっていて、手術を受ける決断を迷ってしまった。

悩む男性

妻に移植の電話があった事を伝えると「ホント!?良かったじゃん!」と喜んだ。

自由に動き回れる体を取り戻してほしい妻としては当然の反応だった。それでも私は今回は受けないという思いがその時点では強かった。

30分話し合っても手術を受ける決断が出来ず、病院から再度電話があった。決断できない理由を移植コーディネーターに伝えた。

気持ちは分かるが客観的に見て病状は良くないし「両肺の移植が一年で回ってくるなんて奇跡に近い事。次がいつ回ってくるかもわからないよ」と言われ、もう1回最後の電話をするからそこで答えを出してくださいと言われまた電話を切った。

冒頭でも書いたように移植の待機期間は人によっては4年以上かかる事もある。その間に病状を悪化させ亡くなってしまう方も少なくない。

合併症として患っている「肺動脈性肺高血圧症」は突然死の可能性も低くない、呼吸器障害の末期症状。

次のチャンスが回ってくるまで命が持たない可能性も十分に考えられる事を冷静に考えたら妻の為、娘の為にこの奇跡的なタイミングで回ってきたチャンスを逃してはいけないのかな、という思いも出てきた。

当然手術に対する怖さもあった。京都大学病院の肺移植手術の成功確率は90%と言われ世界的に見てもトップレベルの成功率。

一見高いように感じるが年間で移植が行われる件数は20件~30件、その内の10%うまく行かないと考えると決して低いとも捉えにくい数字だと感じる。

手術を受ける決断をした!

娘が産まれた時に思ったことがある。

自分の今後の人生はこの子の為に生きるんだと。

子供が産まれてから命の危機も体験もした。

でも娘のおかげ命が繋がれたと思っているし、娘の存在が無ければ私は命を落としていたのでは無いかと本当に思う。

この先も妻と娘と一緒に居たい、その為にはこの手術を受けないとダメだと思った。

こんな奇跡的に早いタイミングで手術を受けられるチャンスも何かに導かれているのかもしれない。

京都大学病院からの最後の電話が鳴った「肺移植手術受けますか?」という質問に「はい、受けます」と返答した。

妻と娘との暫しの別れ。

当然1歳8ヶ月の娘にはわかるはずは無いが、数ヶ月は会う事が出来なくなる。

絶対元気になって帰ってくると誓いながらも泣けてしまった。

パパに泣きながら抱きしめられた娘は笑顔で見送ってくれた。パパは絶対戻ってくるからね!

手を振る子供

両親と京都大学病院へ

京都大学病院までは、自宅から高速道路を利用して約3時間。

両親に付き添ってもらい、出発したのは17時過ぎ、沈む夕日を眺めながら家族や友人の事を考えていた。

これまでの色々な事を振り返っていたら涙が出てきた(まだ何もしていないのに泣きすぎ)。

この時点ではまだ手術が実際に出来るかどうかは決まっていない。

ドナーさんの肺を取り出して移植手術に使えるかどうかの判定が行われる。

病院まで行っても、ドナーさんの肺の状態が良くなく、手術が出来ないというパターンも少なくないという。

京都までの道中、どこかそのパターンを期待してしまっている自分が居たような気がする、多分手術に対する怖さ、不安があったんだと思う。

京都大学病院に到着。

少し渋滞にハマり、京都大学病院に着いたのは21時。

呼吸器外科病棟の個室に通され、手術の説明などを受けたが内容はあまり覚えていない。

採血、その他バイタルチェックなどを行った。熱があったりしては手術は行えない。

手術や研究に関する十数枚の書類に目を通し、数枚の同意書にサインをした。

実際に手術が行われるかは翌朝判断が下される。意外とギリギリな事に驚いた。

シャワーを浴び、翌日に備えて眠りにつけたのは0時頃だった。大きな手術を控えた前日ではあったが、睡眠は5時間程は取れた。

翌朝8時頃、担当医が「来てドナーさんの肺、とてもいい状態なので手術行えます。」

この言葉を聞いた瞬間、わずかな不安はあったが気持ちは固まった。友人や妻からのLINEでのエールにたくさん勇気をもらえた。

絶対元気になって家に帰る!と心に決めた。

9時に病室を出て手術室へ、手術室前で両親とお別れ、また泣いた。

手術台に乗り、色々な計器が体に付けられていく、さすがに心拍は高め、点滴が入れられそこから眠り薬が投与される。

手術台に乗って30程度でもうそこからの記憶は無い、どうか手術がうまくいきますように。。。

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