こんにちはkohapaです。プロフィール。
「特発性肺へモジデローシス」という病気を患っています。
現代医学では治療法が無く、現在は肺移植待機中です。
病気の初期症状だったと思われる原因不明の貧血症状について、お話したいと思います。
突然降りかかった原因不明の体調不良
今から約20年前、突然、体に異変が起きました。
高校一年生の冬休み明け、体育の準備運動でクラスメイトと列になってランニングを行った時の事でした。
走り始めて早々に「息が苦しい!」運動場を一周走っただけで呼吸苦を感じ、3周するはずの準備運動で2週目には列に付いていけず、ゼーゼー言いながらなんとか3周走を走り切りました。
今までに体感したことのない苦しさでした。しかし、この時点では、たまたま体調が悪かっただけだと、深くは考えませんでした。
しかし、それは次の体育の時も同じ。列から遅れゼーゼー言いながら3周をなんとか走り終えるという感じでした。
「やっぱり、これはおかしい」
この頃から咳も出だし、痰には僅かながら血が混じっていた。
病院を受診 原因不明の貧血である事が判明!
両親に相談し病院へ行ってみる事になりました。
近所の開業医へ行き、採血検査をしたら貧血である事がわかりました。
ヘモグロビンの基準値
貧血は、血液の中の赤血球の数やヘモグロビン濃度が減ってしまう病気です。
男性・・・14~18g/㎗
女性・・・12~16g/㎗
ヘモグロビンの値が上記を下回ると、貧血となります。
また、女性で6g/㎗など正常値の半分しかヘモグロビン濃度が無い場合、重度の貧血と言えます。
当時、私のヘモグロビン濃度は7~8g/㎗しかありませんでした。
重度と言われる範囲です。
便からの出血を疑われましたが、当時、便は正常でした。
しかも、男性でこれ程ヘモグロビン濃度が低いというのは異常、体内のどこかで出血しているとしか考えられないと言われ、追加の検査が必要になりました。
胃カメラの検査を追加実施
16歳にして胃カメラを経験する事になるとは思ってもいませんでした。
検査結果、出血は確認できませんでした。
となると、何が貧血を引き起こしているのか?
一言に貧血と言っても、様々な原因が隠れている可能性があります。
個人院では検査の限界があるため、自宅から車で一時間程の県立病院を受診する事になりました。
県立病院ではさらに沢山の検査を受ける事に
県立病院でも原因追及の為、様々な検査を受ける事になりました。
特殊な検査の一例ですが
- バリウム検査
- 骨髄液の採取
骨髄の異常で貧血を起こす事もあるみたいです。
骨髄液の採取は、今思い出しても嫌な検査です。
時間的には数分の事だったと記憶していますが、診察室のベッドにうつ伏せになり、麻酔注射。
腰骨の辺りから採取、痛みは麻酔が効いているのでそれほどありませんが、針が「ぐぐぐ」っと入っていく感覚、そして採取時には腰を引っ張られるような、まさに吸い取っている感覚がとても気持ち悪かったです。
もう、おじさんかよって言うくらい色々な検査を受けました。
原因不明の鉄欠乏性貧血の疑い
沢山の検査を受けましたが、はっきりとした原因は分かりませんでした。
鉄欠乏性貧血の可能性が一番高いとの事で、始めたのが鉄剤の内服でした。
月に一度の通院で採血をし、経過観察。
2~3か月でヘモグロビン濃度は徐々に増え、半年後には正常値に戻り薬もストップ。
この間、唯一好きだった体育の授業も見ているだけ、正常値に戻り、また運動できる喜びは大きかった!
喜びもつかの間 原因不明の貧血が再発する!
貧血が再発です。
正常値に戻ってから半年かけて徐々に息切れが酷くなり、貧血が再発してしまいました。
また通院+内服の再開。鉄剤を内服する事で正常値に戻る、内服を辞めるとまた再発する。
高校一年生の冬に発症し、卒業までの約2年間はこれの繰り返しでした。
好きな体育の授業もほとんど出来ず、貧血が酷い時には学校までの長い坂道を登る事も辛く、父親に学校まで送ってもらう事も多かった。
貧血が酷い時はヘモグロビン濃度は3g/㎗まで下がりました。
これは、普通にありえない数値。
生理による出血の酷い女性でもせいぜい6g/㎗だと聞いていたので、体内での出血が確認できないのにこの数値というのはありえない。
それでも原因は高校卒業までわからないままでした。
就職先での健康診断で新たな展開
原因不明の貧血に苦しみながらも高校を卒業し、地元企業に就職しました。
入社直後は、貧血っぽい感じも無く、結構体は動かせていた。
しかし、夏前に行われた社内の健康診断で「肺に陰影有、要再検査」という結果が返ってきた。
「なんで肺?」今まで指摘されたことも無かったので、たまたま調子が悪かっただけだろうと思い、貧血の時に通っていた県病院へ行きました。
採血もしましたが、貧血はありませんでした。
呼吸器内科で気管支カメラを経験
肺の陰についても詳しく調べる必要があるという事になり、気管支カメラの検査を受ける事になりました。
気管支カメラとは、肺や気管支の病気を診断する為の内視鏡カメラで、胃カメラよりも細いカメラで気管支、さらには肺の中まで見る事が出来る検査です。
検査では、カメラを肺まで送り、先端に付いた鉗子(かんし)で組織を摘まんで取ってくるという物でした。
検査前に、胃カメラよりも数倍しんどいと聞かされました。
結果、胃カメラより数倍しんどかったです。これは一度きりにしたい検査のひとつに入ります。
検査は、無事に組織を取ってくることができて、予定通り終了しましたが、肺の中を気管支鏡で見た所、出血が確認されました。
肺全体にじんわりと出血が起こっていたと言われました。
気管支肺胞洗浄
肺の中に150㏄程の生理食塩水を入れて洗浄する事が出来るそうです。
肺に出血が見られたので、ついでに肺の中も洗浄しました。
原因不明の貧血から3年!病名が判明しました!
検査の結果、診断がつきました。
「特発性肺へモジデローシス」・・・・聞いたこともない病名。
それもそのはず、この病気は123万人に1人と言われるほど、稀な病気です。
特発性肺へモジデローシスとは
肺毛細血管からの出血が繰り返され、肺胞及び、肺間質にヘモジデリン(鉄)が沈着する疾患。
現代医学では原因不明の疾患で、免疫疾患の1つと考えられている。
自分でネットの情報を調べたら、どうも2~3歳くらいの子供に多い病気のようです。
原因不明なので、治療は結構難航するらしいが、現在は、ステロイド薬治療が効果があるのではと考えられているようです。
稀な病気過ぎて医師も対処法がイマイチわからない
123万人に1人ですから、当時の医師も聞いたことはある程度の知識だったようです。
当時の対処としては、肺の炎症が酷くならないように、抗炎症剤の処方。
病状もそこまで深刻ではなかったのか、月に一度の通院、レントゲンを撮り、処方箋を受け取るという物でした。
当時の体調はどうだったのか
当時の仕事は、工場勤務で、重い物を持ったり、結構動き回る仕事でした。
仕事は出来ていましたが、体力的には結構辛かった。
休日に友人と遊びに出掛けても、長い坂道や階段があると、途中足を止め、呼吸を整えないといけない程でした。
当時、まだ20歳くらいで、精神的には元気もあったので、肺が苦しい事はごまかしながら生活していました。
今思うともっとしっかり病気と向き合うべきだった
若さ故に、病気の事よりも、楽しく過ごしたいという思いが強かったので、病気としっかり向き合えていませんでした。
30歳を過ぎて、肺移植が必要な病状になってしまう事が、予想できていればまた違ったのかもしれないが、当時は病気を軽く考えすぎていた。
今思うと、この時点でもっと大きな病院を紹介してもらうべきだった思う。
高校生時代に、原因がはっきりわからないのに鉄剤の内服を続けるという治療が今思うと正しかったのか?という疑問もある。
貧血は、ただ単純に貧血では無く、多くの病気の初期症状という可能性もあります。
私に関して言えば、完全に「特発性肺へモジデローシス」の初期症状だったと考えるのが妥当だと思う。
原因不明との診断結果が出た場合は、セカンドオピニオンを検討し、正しい診断結果を早期に導き出し、正しい治療を早期に始める事が重要だと発症から15年以上経った今、強く思う。