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生きる為の目標が出来たのです

雑記

33歳にして生きる為の目標ができたのです。

投稿日:2018年1月12日 更新日:

こんにちはkohapaです。

私は100万人に1人と言われる肺の病気を患っており、現在は肺移植待機という状態です。

現在34歳の私は33歳にしてようやく生きる為の目標が出来た事に気がつきました。

ブログタイトルにもしている生きる目標について感じた事を記しておきます。

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私が生きてきたこれまでの30年間。

私はこれまでの人生を振り返っても小学校、中学校、高校と自分自身が将来こうなりたい!

という明確な目標や夢を持ったことがありませんでした。

高校も自分の学力で行けるレベルの学校へ行き、部活動にこそ打ち込んだものの、高校の3年間でも将来の事を真剣に考えた記憶も無いくらい本当に何も考えていなかった。

高校1年生の冬から肺の病気の初期症状らしき貧血に悩まされ、体調も優れなかった為に進学する自信が無かった、というのも少なからずあったけど、高校を卒業し、地元企業に就職。

特にやりたいと思う仕事でも無かった。

2年程で退職し、その後は数年間フリーターとして過ごした。

23歳で再就職した。特別なスキルも持ち合わせていない私は、自動車関係の部品製造工場で働いた。

プライベートに関しては、友達と楽しく過ごす時間も多かった為、充実していたが、仕事にはいつも不満を持っていた。

会社が悪いわけでは無い、ただやりがいを見いだせない事に対するいら立ちを仕事に対する不満のように振舞っていただけだと今になって思う。

仕事なんて楽しい物じゃないとは思う、それでも私の仕事に対する姿勢はあまりにもマイナスな感情しかなかった。

仕事中はいつもイライラしていた。

確かに体調がかなり悪い時期もあって精神的に辛い時期もあったが、私自身の仕事に対する取組み姿勢が、体調悪化を増幅させていた一面も少なからずあったと思う。

体力的に辛いという事もあったが、やりたい仕事もスキルも無いのに仕事を辞めたいとばかり思っていた。

いつもネガティブ思考。冷静に振り返ると小さな頃からそうだったなと思う場面がたくさん頭に浮かぶ。

ネガティブな出来事程、はっきりと記憶している。

根っからのネガティブ思考なんだなと思う。

そんな私も結婚する事が出来た。

30歳手前で出会った子と31歳で入籍した。

もちろん幸せだった。妻の為に体調も良くして良い家庭を築いて行こうという前向きな気持ちでいた。

しかし入籍して2ヶ月で病状が悪化し、入院をする羽目になってしまった。

この出来事がきっかけで、自分自身を見直す事が出来た。

周りの人に対する感謝の気持ちが欠けていた事に気づかされた。

病状悪化をきっかけに、前にも増して仕事が体力的に辛くなってしまった。

追い打ちをかけるようにパニック障害を発症し、精神的にも体力的にも限界だった。

このままではダメになってしまうと思い、会社に療養を申し出た。この時、妻は妊娠8ヶ月だった。

社長は無期限の療養を認めてくれた上に、サポートをしてくれる約束までしてくれた。

これには本当に感謝してもしきれない気持ちだった。

これまでつまらない、辞めたいの不満ばかりを抱いていた自分に対して、これほどまでに温かい対応をしてもらえた事に申し訳ない思いになった。

今までの自分の仕事に対する取り組み姿勢を本当に反省した。

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娘の誕生が私に生きる目標を与えてくれた。

私が33歳の時に第一子となる長女が誕生した。

娘の誕生は私にとってとてつもない活力になった。

娘の為に頑張るんだ!という思いが体調面でも精神面でもとてもプラスに働いた。

療養している分ストレスが少ないという事もあるけど、こんなにポジティブな思考で生活出来ていた事は30年間で一度もなかったんじゃないかと思う。

妻の妊娠が発覚した時、子供を作った事が正しかったのか、と自問自答する事があった。

体調が悪く、自分の事で精一杯な人間が、父親としての役目を果たせるのかと。無責任な行動だったのかなと。

娘に責任を押し付けるような言い方になってしまうかもしれないが、きっと情けない私を見かねて娘は私と妻の元にやって来てくれたんじゃないかと本当に思う。

娘が居てくれるおかげで毎日笑っていられる。

本当は毎日仕事に出かけて夜帰ってくる、そういった父親としてあるべき姿を見せるのが正しいとは思う。

本当はもっと色んな所に遊びに連れて行ってあげたい、でも今は体調的にあまりできない。

妻や娘には申し訳ない気持ちもあるが、今は今で本当に幸せだと感じる。

娘にだっこをせがまれても呼吸が苦しくて抱いてあげられない事も多々ある。

抱き上げてあげられない事は本当に悔しい。情けない。

それでも34年間生きてきて今が一番幸せだと感じる。

死の一歩手前を経験する

娘が10ヶ月ごろのある日、私は朝から調子が悪く、救急車を呼んだ、この時危うく心臓が止まる所だった。

担当医からは、逝っていてもおかしくなかったと言われた。

これは本当に予期せぬ事態だったがそれでも命を繋げた。それには必ず意味があると思う。

まだ生きて、成すべき事があると感じた。

結果、ペースメーカーを埋め込む事になったが、それすらもポジティブに捉える事が出来るようになっていた。

今現在、肺移植待機の状態である物の、心臓や肺動脈にも問題を抱え、3年後生存率が50%と言われる病気まで見つかった。

肺移植までたどり着くのが現在の目標。

私にとって、今の生きがいは娘と妻の存在。

少なくとも娘が20歳になるまでは生きていたい。というか絶対に生きる。

人間、しっかりと目標を持って人生を歩んでいくことは大事な事だと娘の存在から学んだ。

目標を持てるとこんなにも前向きな気持ちでいられるという事を。

今まで大した目標も持たずなんとなく生きてきた人生、しかし後悔しても仕方ない。

これからたくさんの目標を立てて、それに向かって生きていけば素晴らしい人生を送れると信じている。

私にとって生きる事の目標は家族との幸せな時間を末永く続ける事。

今は必ずその目標を実現させて見せるという強い思いで生きている。

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